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三宝(ドゥルガプジャのよき日に)


人は金(キン)といえば、鋳物の金を思い出す。 そのように人は鋳物としての金をよく知っているが、実は金とはそれ以外にもあるのである。
鋳物としての金、液体としての金、空間としての金、波動としての金がある。 それを人は誰も知らない。こうして歴史は今日まで流れて来たのである。
金の声、金の歌声、金のような顔というのは波動の金のあらわれである。

皆さんの知っている宇宙の根源ブラフマン。それは無色透明なものである。 それが創造の過程を通ると、金の波動となる。そして金の波動が時間になったり、空間になったり、人間の命や動植物の命となる。 即ち人間の命というものは、ブラフマンの金の波動から出来上がっているのである。

ではその金とはどんなものか、これも又、誰も知らない。 金とは無価値なるもの、軽やかであるもの、よろこばしきものであるものなのです。 金は踊る人から離れて。
人はいつも人にこだわっている。こだわるから自我が出来る。 それは自己は金である事を知らないからである。だからうろつき、まようのである
軽やかで、よろこばしきもので、無価値なる自己を知ると、自己というかたまりがなくなる。 かたまりが無くなると踊りがはじまる。羽毛のように軽くなる。 人は自分というかたまりが出来ると損得が生まれ、他の人との間にまさつがおきて、悩みがはじまる。 その悩みを消すために道を求め、真理をさがし、思考がはじまり、哲学や宗教がはじまってくる。
実をいうとそんな道はいらないのである。自己が金から出来上がっているのだと認識したら、他に求める道はなくなる。

軽やかなるもの、よろこばしきもの、無価値なるもの―――金を知り、それに定着すれば、顔が金色に光ってくる。 声にも歌声にも金色のすずの音がまじってくる。
「帰郷」とはその事であり、そうなる事が「帰郷」への道である。

自己を信じること、自己の本性になること、他でなく自己の金に定着すること、そういう信仰が必要である。 神や神々のことも考えるな。考えると自己の本性を忘れる。

ドゥルガ女神は、80才になった私に教えてくれたものはそれであった。

無色透明なる一者ブラフマンが、創造の通路を通って金となった。 その金の波動は時間、空間、そしてすべての存在するものを生んだ。 価値を求める自己から、無価値なるもの、軽やかなるもの、よろこばしきものに栄あれ!!
よろこびの舞がはじまる!!