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細かい、やさしい、ソフトな心


日本では桜の花を非常に愛します。 ある子供がお母さんと一緒に桜を見にいきました。日本人はお弁当をもって桜を見にいきます。 お母さんとその子供がお弁当を食べながら桜を見ていました。そうすると子供が食べているお弁当の中に桜の花びらが落ちてきました。 そうしたらその子供が何と言ったと思いますか? 「お母さん、この花びらどうしたらいいの?」と言いました。ここが大事なポイントです。その子供はその桜の花を生きたもの、 ただの物質ではなく、生きた大事なものとして扱っていたのです。そういう大切な桜の花びらがお弁当の上に落ちてきました。 普通だったら(いらないものが落ちてきた)と捨ててしまいます。しかしその子供にとってはその花びらが心のある宝石のようなものでした。 だから捨てることができませんでした。

そういう細かい、やわらかい、やさしい、宇宙の核心に通じる心というものが人間には必要です。これは非常に難しい例でしたが分かったでしょうか。 人間にはそういうやさしい、ソフトな心というものがないと死んだのと同じです。だから物理学とか科学の世界ばかりで生きていたら人間の心が死んでしまうというのです。

この子供の詩を読まれた、その子供の先生がほろほろと涙を流したというのです。感動ですね。人間に感動がないと駄目です。死んだのも同然です。 宇宙の核心即ち感動のルツボに触れることが必要です。宇宙とはそのように生きてあるのです。

学問的に賢いことを知っている、知識の知恵というものと、それ以外にやさしいソフトな心、生きたものを感じ大切にするというものがあります。 学問的な知的な方ばかりが勝ったら人間は失敗してしまいます。すべての物の中に心が大きくならないと人間に幸せはやってきません。 その心を詩的とか神話的な心と言います。それが神様に近い心なのです。

そしてそれをもっと深め宇宙的に広げていきますと、宇宙の根源にいたることができます。ヴェーダーンタの教えというのはこういう教えです。 自分たちの心が高いところに行って、宇宙中に広がってしまわなければ至福が来ません。これを宇宙との合一、結合、自己実現と言います。

それには「させて頂く」というベーシックを持たないと、人は傲慢になり、低い意識に転落してしまいます。 分かりましたか?「させて頂く」というのは自分たちをより良い方向に引っぱっていきます。これが自分たちの芸術です。人間が芸術作品にならなければなりません。 立派な芸術作品を作ることが宗教です。

今までの宗教というと神様を拝むことが宗教だと思っていました。神様を拝むことも宗教の一つです。学校で先生が生徒にものを教えることも宗教です。 音楽家が音楽を勉強するのも宗教です。画家が絵の研究をするのも宗教です。教員も音楽家も画家も政治家も警察官もみんな芸術的にならなければいけません。 その芸術家になるということには一番最初に「させて頂く」というベーシックをもっているかいないか問題になってきます。

私は宇宙を非平衡系と、もう一つ循環系は詩であるととらえます。この詩をとらえると、更にこの宇宙は踊りと遊戯に満ちていることが分かってきます。 画家のヴァン・ゴッホはそれを見て「もえる糸杉」を描きました。正にそれは音楽そのものです。