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メアリー先生 お母様(菅谷紀子さん)への追悼講和 2016年11月13日

皆様こんにちは。この度は遠いところから、またお忙しいところを母のためにお越しいただきまして、本当に有難うございます。

私も妹やアーサーから連絡をもらい、飛行機のチケットが何とか取れまして、間に合ったらいいなぁ…待っていてくれたらいいなぁ…と、もう必死にお祈りしながら、願いながら、7日に(日本に)到着しました。 妹がずっと看てくれていましたのを交代しまして、その7日から3日後の10日、皆の見守る中、本当に静かに静かに息を引き取ってくれました。 お陰様で90才で、先生やこちらの方々のヘルプや天の意思もあるでしょうけれども、天命を全うさせていただいたことに感謝をしております。有難うございます。

母は会員になりましてから約45年位で、「一人では危ないだろう…」と先生のお勧めでこちら(ソサイティ本部)へ、家を売って越して住まわせていただいてから約7年になります。 色んな宗教に振り回されておかしくなる…というようなそういう教えではない、ピュアーな透明な、すごく科学性もあって分析力のある、詩人でもあられた先生のその教えを通して、 母は本当に明るく過ごすことが出来まして、随分と心の支えになっていたことと思います。

先生の教えの一つに、『自然に木々に花に宇宙の星々に語りかけよ』と『語りかけることは、そのものの中に入ることである』という教えがありますけれども、母も自然が大好きで一生懸命語りかけていました。特にお花が大好きで花によく語りかけていました。 また、どんなことにもすごく熱心で努力家でした。それで努力家というとすぐに思い出すことがあるんですけれども、母はよくアメリカにも来てくれまして、アメリカのセンターのとても広い広いお庭で、なんとか自分の力で出来る奉仕をさせてもらいたいと思っていたようです。 お庭の手入れが充分行き届かないため、植木の型、形が良くなくて、母はそういうことがすごく気になるらしく、植木の刈込は母が来た時にほとんど型をつけてくれました。 それが刈込といっても結構大きなハサミで、こう、刈っていきますから、腕がだんだん痛くなってきまして、これが少し若い時は良かったんですけれど、80才近くになると本当に腕が痛んでくるようでして、 「菅谷さん、無理したらあかんよ」って先生が仰っても、何かふと作業着を脱いだ時に見ましたら、湿布?、鎮痛湿布というんですか?をね、3枚ずつ腕に貼っていたんです。それを見てね、ちょっと胸が痛くなりました。 こんなにまでしてね、一生懸命奉仕させてもらいたい、役に立たせてもらいたい、そういう何といいますか、一生懸命やりたいというような根性なようなものを感じまして、何か感心したことがあります。 先生が「もう菅谷さん、無理しちゃいかん」って仰って、「もう、やめなさい」って言われてやっとやめたんですけれど、ちょこちょこちょこっと伸びてくるのを見てると、 「先生、ちょっとあのお花を、ハサミで、片手だけでもいいから、ちょちょちょっとね、つまんでもいいですか?」なんて言っていたんです。それで先生が「菅谷さん、いいですから。菅谷さんはお台所の方を手伝ってください。」って言われまして、お台所の方になったんですね。

私は、せっかく母が整えて綺麗にしてくれた植木の型、形を崩さないように持続したいと思っているんですけれども、皆様ご存知のようにあちらでも高齢化が進んでいまして、もう広くてとても人手が足りないんですね。 段々こうちょっと伸びつつあるんですけれども、出来る時と出来ない時がありまして、植木を見る度に、母が一生懸命頑張って、努力してやってくれて、綺麗にしてくれたなぁって、とても感謝しています。

母に感謝することはいっぱいあるんですけれど、あと二つほどお話しさせていただきたいと思います。一つはですね、35年前ですけれど、皆様もご存じなように、私が6才半のトムと2才半の光司先生を連れてアメリカのセンターに移住することを決めた時のことなんですけれど、 空港に7〜8名の方と一緒に妹たちも見送りに来てくれまして、母はずっと泣いていました。後から妹の電話で「あれからもずっと泣いていて上にあがって飛行機が見えなくなるまで送っていた。」と聞きました。大事な娘と幼い孫達を、遠いアメリカへ託すこと、 そしてまた天や先生やソサイティに託すという決心をしてくれましたこと、今でも時々思いますけど、母の辛かった心とそれを乗り切って振り切って私達の幸せを考えて、人生を大きく見てくれたことに今でもすごく感謝しています。

あとの一つは、私が胃下垂になった時の話なんです。アメリカのセンターでは、日米文化交流センターという看板も掲げておりますが、領事館の方々に連絡をとって、色んな書類を送ってもらって、学校で文化交流をしています。 先生はやはり日本庭園の良さをアメリカ人に知らせたいと思われていたようで、あの広大な土地を日本庭園にしたいと、先生を筆頭に我々弟子達、また時々会員さんが手伝いに来てくださいまして、日本庭園を造ってきたわけです。 それで、二つの大きな池がありますけど、小さな池の方はお庭から沢山石が出るのでその石を積み上げる池にしようということでその作業をしておりました。その時ちょっと他の重たい仕事も手伝って、あんまり張り切ってやり過ぎたものですから、胃下垂になってしまったんです。 胃下垂になりますと胃が下がるので痛くて歩けないんですね。それで色々な事を聞きまして、治療をしながら、会計とか座って出来る仕事とか、庭園造りの時にどうしても必要な時は何とか歩いていって、座り込んでやっていました。 食べなければ治るだろうと思って、3日位小粥さんと梅干にしたんですね。そうしましたら3日目にすごく体力が無くなりまして、もう立つことも出来なくなりました。それで先生が心配されて拝んでくださったんです。 先生は、まぁ、拝むということは、やはり思想家であられますから、自分達がしっかりしてやっていかないといけない。科学的なことも、医者のこともよく考えていかないといけないけれども、時々医者で治り難いようなことはやはり拝んでくださるんです。 そうしますと、なんとね「ビーフステーキを食べさせなさい」と言われたそうなんです。それで私はびっくりしまして、胃が悪いのに…と思ったんですけど、まぁ胃に負担がおきませんように、1日1枚のステーキを朝、昼、夜と分けて少しづつ食べましたら、どんどん体力が回復しました。 けれどそれは胃下垂が治ったことではないし、やはり皆さんにもご迷惑をかけるし、お仕事も手伝いが出来ないし、庭園造りも急ぐので、それで本当に初めてなんですけど、自分のために天というか神様というか御神前で瞑想して「どうか治りますように」と一生懸命お祈りしたんです。 自分のためだから何も答えて下さらないかなぁと思ったら、天か神様か声が聞こえてきまして、それはね、この母の(遺影の)バックに桜がありますでしょ。この桜の花にちょっと関係があるんですけれども、その声がね「桜の花びらを食べたらいい」って聞こえたんです。 私は意外でね、なんか神話的な綺麗な話なんだけども、桜の花びらを食べるなんて…と思いました。私はアメリカにいますしピンと来なかったので、母に電話したんですね。そうしましたら母が「桜のね、花びらの塩漬けが良い」って言ってくれまして。 それでちょうどここ(高槻のソサイティの庭)に八重桜がありますけど、満開の時期だったんで、「週末に行って作って送ります。」って言ってくれました。皆さんご存知でしょうけど、桜というのは、気をつけないと花の中に小っちゃい目に見えないような虫が一杯入ってます。 それを母は丁寧に丁寧に花の形を崩さないように虫を取って洗って沢山作ってくれまして、そしてすぐ送ってくれたんです。それでそれをサッと塩出ししてお湯をかけてちょっといただきましたら、なんか胃がね、スーッと治まるような感じがしまして、 「ああ、やっぱりこれはいけるのかなぁ」と思い飲み続けていましたら、胃下垂そのものが全部治ったんです。もしかしたら漢方に詳しい方はそういうことをご存知かもしれませんが、私は調べたことがないので分からないんですけれども、桜の花びらが効くんですね。 その時、本当に有難いなぁと思いました。

それでですね、これはちょっと余分になるんですけれど、桜の花の話が出たんで少しお話しします。光司先生のことなんですけども、小学校の低学年位の時に、先生が拝まれた時、「光司はね、桜の木の精の生まれ変わりだよ」って言われたんです。 へぇー、光司さんはやんちゃで、こう、強ーい感じの人だけれども、桜の木の生まれ変わり?ってその時は思ったんですけど、それが後でなるほどって思ったんですね。それまでは広ーい丘のお庭で走り回って駆け回って、自由に遊び回っていたんですけれども、 段々高学年になってきますと、勉強勉強で忙しくなってきたんです。そんなある日に兄のトムが夢を見たって言って来まして、どんな夢を見たの?って言ったら、それが悲しそうに「僕ね、光司の夢を見た。光司がね『僕ね、桜の木に帰りたい』って言った。」って言ったんです。 桜の木に帰りたい?…そんな風にね、この現実社会の厳しさに、ただただ子供らしさ、そういうものが消えていく…その過程だったんでしょうね。それですぐサンフランシスコに日本庭園がありますので問い合わせましたら、 八重桜が沢山あるんですけれども、ちょうどそれが4月で「満開です。」って言われたので、先生が「すぐ光司を連れて行こう。」「光司の魂がくたびれてしまう。疲れてしまう。」と仰って、子供達を連れてサンフランシスコのゴールデンゲートパークに行きました。 光司先生が満面の笑みを浮かべて、桜の木の前で写っている写真が一枚あります。

まず先生がステーキを食べなさいと仰ってくださって体力がつきましたこと。そして自分のことを拝んだのに天がちゃんと返事をしてくださって、桜の花びらを食べれば良いと言ってくださったこと、御神示をいただいたこと。 そして母が一生懸命指先を痛めながらも、もう充分余るほど沢山作ってくれて送ってくれましたこと、本当に感謝しています。(遺影に向かって)「お母さん、有難うね。有難うお母さん…。」母もその時は痛かったなぁ…って思い出しているかもしれません。

本当にこの7年の間、ここの方達、皆様にも大変お世話になりました。本当に、一生懸命心を尽くして、母のために良いように良いようにとお心遣いいただいて、お陰様で天命を全うすることが出来ました。感謝しています。 それと古い会員さん達がおられますけれども、本当に長い間色々とお世話様になりまして有難うございました。本当に有難うございました。