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思考は止まった


知の世界から やっと詩の世界へ
ぬける事が 出来てきた
詩の世界という 一つの世界だけが
真実な世界であることが 分かってきた

夜になると オリオン座を眺めて
それを 動かす手伝いをしだした
バカなような おろかな事のようだが
これしか 真実な行為のない事を知った

老子は 無為自然と言って 自然に帰る事を
説いたが
自然に帰ったら どのような事を 行為すれば
良いのかが説かれていない

教えが 中途半端であるから
弟子の荘子が それをおぎなう為に
すべては 一つであるとか
すべては 運命であるとか 言い出した

すべては 一つであるというような 哲学思考では
又しても 合理知の世界に 引き戻されてしまう
最終的に何をすべきであると 誰も言わなかった
そして 無我とか 無欲とか 足るを知れとか
空とか 無とか
知のすべての道具を 並べたてた

しかし 真なる宇宙構造のあり方が
そこから 現れては来なかった
自我を知れとか 故郷に帰れとか
これらも それらと同じたぐいの まやかしの
言語の羅列であった

人間には しなければならない一つの行為が あるのである
それは 自己を高めることではなく
親のそばにいて 親の仕事を手伝うことである

宇宙根源の親なる者のそばにいることで 十分である
幸せは そこからやって来るのである
親から離れて いくら仕事で成功したとしても
本当の幸せを 得ることは出来ない

宇宙構造の外に出ると 時々刻々安心の出来る
時がない
ストレスがたまって 早死にするだけである

たとえ百才まで 生きたとしても
たとえ百人の孫子に囲まれて 死んだとしても
その喜びは つかの間の喜びである
求めているものが 癒されただけの事である

それこそ 無欲になれという教えが ぴったりくる
無我という教えも 薬となる
しかし その薬を飲んで 無欲無我になった後は
何をすべきなのか
それが この世に説かれていない

即ち 子は親の手伝いをしなければならない
という事が

する事の分からぬ魂は それから常に
無欲無我という言語に 追いまくられる
解脱という言語や やさしくあれ 親切であれ
という 孔子の教えにも 追いまくられる

自己を 仕立て上げねばならぬという
これまでの教えに つきまとわれるのである
自由を失ったその魂は いづこに行くのだろうか

天国か 信仰する神の所か
そこで 何をするのか
そこへ 何の為にゆくのか

親と子の関わりから 離れた魂は
永遠に 求め歩かねばならない

私は この「手伝い」を知ってから 完全に
思考が 止まってしまった
自己を 仕立て上げる為の思考が
不必要となったのである

私の手は 上にあがり 踊り始めた
鳥でもうれしい時は 踊り始める

親の手伝いをしてから 思考は止まった
その喜びは 踊りを作った
無価値なものを つかんだ喜びと 踊りであった
DNAが 昔のDNAへと回転し始めた
太古の神学詩人へと 回転し始めた